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Sunshine

2015年05月20日

彼の短編小説集に


退廃主義や頽廃派と呼ばれた戦後デカダン(décadentisme)派と言えば、
代表格は何と言っても太宰 治だろう。
小説『人間失格』『斜陽』などの作品で、一時代を築いたとも言える。
だけど、これらの作品だけで「これが太宰だ」とは、言ってしまえないところがある。

彼の短編小説集に『新釈諸国噺(ばなし)』というのがある。
これは、井原西鶴が書いた小説をたたき台として、太宰流にアレンジして書き改めたもの。
この冒頭に凡例として書いているが、
そこに「西鶴は世界で一番偉い作家である」と表現している。
この『新釈諸国噺』の中に
原稿用紙30枚ほどの『裸川』という作品がある。
これは、もちろん西鶴の『武家義理物語』をアレンジしたものだが、
もともと『太平記』の青砥(あおと)左衛門尉藤綱(ふじつな)の
評伝部分を井原西鶴が自分流に脚色したもの。
そうすると、太宰作品は、アレンジのアレンジということになる。
『太平記』に書かれている、もともとの話を紹介すると、
「青砥藤綱は、鎌倉北条氏の時代に裁判官をしていたが、
ある夜、金十文を鎌倉の自宅近くの滑川(なめりがわ)に落した。
川の中に落ちたが、そのまま放置しないで、夕暮れにも関わらず
たいまつを五十文で買い、水の中を照らして、とうとうそのお金を見つけた。
その行ないを見て、人は大損だと笑ったが
「十文は小さいが、これを無くすことは天下のお金を無くすこと。
五十文を無くしたが、これが流通することによって人々の為になった」
と諭したという話。
西鶴は、さらに改編して、探す者が不正をする話とし、
その悪事に染まず志を高くした武士の行為が殿様に聞こえ、
「あっぱれ」として高く登用されたというストーリーに改編している。

この西鶴『武家義理物語』は”講談口調”で読むと、それらしく響く物語。

それを太宰はさらにアレンジしてオチ咄にしたのが『裸川』。
これは”落語口調”で読むと、面白さがマシ加わるというもの。

このようなオチ咄にこそ太宰の妙味がある。

とは言え、「川」だけに「オチ」というのは頂けない。  


Posted by Sunshine at 11:30Comments(0)

2015年01月26日

アポロンは

かつての「おしどり夫婦」が泥沼の離婚騒動、なるものが世間を賑わしている。

『ギリシャ神話』に出てくる神々の話も、
妙にドロドロした人間臭いものを持った物語が展開されている。
神々の一人、アポロンは主神であるゼウスの息子であり、
オリュンポス十二神の一人に数えられ、詩や音楽などの芸術の神として知られる。
このアポロンの神話も康泰旅行社
ドロドロしたものが展開されている。

「アポロンは、トロイ王の娘・カサンドラに恋心を抱く。
そして、カサンドラに求婚する。
自分の愛を受け入れてくれるなら「すべてのことを当てられる予言能力」
を授けると言って思いの丈をぶつける。

カサンドラは、それを受け入れた康泰旅行社
そして、まさに予言の能力を持つことになった瞬間、
「アポロンにもてあそばれ、その後、捨てられてしまう自分の運命」
が予言として見えてしまう。
そのため、カサンドラはアポロンのもとを去り、身を隠すが、
アポロンは怒り「カサンドラの予言を誰も信じなくする」
という呪いを掛けた如新集團

そんなとき、トロイ戦争が起きる。
予言能力を得たカサンドラにはトロイの悲劇的な滅亡が見えてしまう。
トロイの木馬を城の中に入れてはならないことなどを
父であるトロイ王に進言するが、呪いがかかったせいで誰も信じない。
カサンドラの数々の叫び虚しく、トロイは滅亡することになる」
という話如新集團

「あんなに仲の良かった二人なのに、、」
ということになるが、
破局の未来が見えても地獄、見えなくても地獄といったところのようだ。
  


Posted by Sunshine at 11:17Comments(0)

2015年01月05日

新年あけましておめでとう

新年あけましておめでとう。なんとか新年を迎えることができた。年末にブログ休止宣言をしたまま適当にブログを更新している。

中途半端にブログを更新しているけれど、そろそろしたら本腰をあげてブログを更新しなければならないnu skin 如新。いつ復帰をすれば良いか様子を見ているけれど、なかなか良いタイミングが見つからないのだ。とはいえ体調がとても良いわけではないけれど、何となくしんどくないような生活をしている。

喋りにくくて言葉が通じにくいが、それなりにコミュニケーションが取れるけれどnu skin 如新、やはり以前よりは大変だ。「はい」「いいえ」程度のやり取りでもなかなか意思の疎通がしにくい。こういうことでも僕には重荷であって、軽く見積もっていられるほど、僕は強い人間ではないのだ。

僕はだらだらとブログを休止していられると思うnu skin 如新。まあ、今年は何もせずにのんびりと暮らすのも良いけれど、昨年始めたブログを再開すべきだと思っている。復帰宣言できるほどの勇気はない。そんな僕だけど昨年同様よろしくnu skin 如新。  


Posted by Sunshine at 17:10Comments(0)

2014年12月17日

どんな内容かと言うと

年の近い弟は、バツイチで今年60才、子供はいない。

どんどん母親に似てくる。というより健康食品、もはやお婆さん。

退職してからは、ほぼ毎日、母親になったつもりで電話してくる。(母親と同じく)

どんな内容かと言うと、

漬物を漬けた話、山椒の実を佃煮にした話、牛すじ肉を1キロ、ことこと炊いた話。

餃子を500個作って冷凍した話、ネギを栽培している話。

だいたいが食べ物の話か、誰それさんが亡くなったとか、転んだとか、

どうでもいいような話ばっかりculturelle益生菌。話の最後は、愛犬 武蔵の自慢。

これも、母親と同じ、母の最後は飼い猫、こまの話だったけれど。

最近、弟を見ると、母親が生き返ったような気がする。

同じ味の煮炊きもするし、顔も似てきた。する事、言う事もまったく同じ。

私は懲りずに、又、母親に言っていたのと同じことを、弟に言っている。

母親が亡くなってから、もっと優しい言葉を言っておけば良かったと

随分、随分、泣いて、泣いて、泣いて、反省したのにかかわらず、

「私も忙しいから、もう電話してきたらアカンで!」

母親に言った時と同じように電動桌、冷たく突き放すような言葉を言ってしまう。

けれど、3~4日、電話が無いと、

今度は私が心配して、悔しいけれど電話してしまうのだけど。

弟の呼び出し音、

坂本冬美の 「また、君に恋してる」 が聞こえると安心して電話を切ってしまう。


 お正月には、我が家で、あびるほど酒を飲み康泰領隊

飛び上るほど美味しい私の手料理で、弟を驚かしてやるつもりだ。  


Posted by Sunshine at 16:30Comments(0)

2014年12月09日

ところで

 iPhoneの、手帳型のカバーを片手で開けたところで、アスファルトの上に落としてしまった。いい音がした。見事に細かくヒビが入った。

 だからさ、カサカサの手で歩きスマホなんかしたらだめなんだわ康泰領隊
 
 この機会に、スマホ片手に歩き回るingressを卒業しようかなと思う。やっとレベル6というスローペースでだんだん飽きてきているし……。

 いや、手帳型の横開きのケースがいけないのだ。一ヶ月前まではフリップタイプだったから、ガラケーの頃と同じように片手で操作できたし、片手で持ちやすかったから落としたこともなかった康泰領隊

 とりあえず、明日修理に出す(送る)ことにしたので、数日はスマホのない生活をしてみる。代替機を借りに行くのも返すのも面倒だし、なくて困るのは子ども達とLINEができないことくらいだし、PCでもいいし、電話なら固定でいいし、どうせ基本的には家にいるんだし……。なんだ、ひょっとしたら携帯必要ないんじゃないの康泰導遊? って考えたら寂しくなったぞ。だいたい地面に落とすなんて愛の薄い証拠だわ。あーあ。

 ストラップを付けられるケースを探そう。

---

 ところで、さっき知らない携帯番号から着信があって出なかったのだけど、その後すぐに、某宅配業者から「不在だったので荷物を持ち帰りました」というメールが届いた王賜豪
 今日の夕方以降に配達してもらう予定だったから、在宅して待っていたのに、なぜ呼び鈴を押さないで電話なの?
  


Posted by Sunshine at 15:16Comments(0)康泰領隊

2014年12月03日

何年か前に

 週末に髪を切った。思いきってついに後ろも肩に届かない短さにして、前下りのふわふわボブっぽくなった。コートを着てもマフラーをしても、首のあたりで髪の毛がモサモサしないからかなり快適天幕工程。新しく髪に合う服を考えるのも楽しい。
 
 何年か前に、どうしておばさんはみんなショートカットなんだろうなあと書いたことがある。当時は、というか若いころからずっとわたしの髪は長めで、「背の低い人はバランス的に断然ショートカットの方がいい」という記事を読んでもフンと鼻を鳴らし、絶対にショートにはしないぞ、ショートにしたら私の女としての人生おしまいだとさえ思っていたりいなかったりしたのだ。それが徐々に短くなってきて、今じゃ短い方がいいと思っているんだから、人は変わっていくものなのよね。と言いつつ電動桌、来月あたりロングにしてるかもしれないけど。(んなわけない)
 
 さて、12月になってしまった。
 先月は割りとたくさん更新したような気がしていたのに、改めて見たら7回だった。これからもそんな感じなのか、もっと書くのか、全然わからない。書こうと決心したところで続かないのは何度も証明済みだ。某SNSも、ブログの更新報告を流す(そういう設定になっている)だけで、全くつぶやけなくなった。あっちでもこっちでも、(くだらない曾璧山中學、他愛のない)言葉が出て来ようとしては止まってしまう。それはたぶん、うんたらかんたら……
と、書こうとしている今わたしは、自分が好きなようにできないのを、何かのせいにしようとしているぞ。でもそれはきっと間違っている。

(省略)
 
 ……って、前にも書いたのに進歩がない曾璧山中學。おんなじことばかりぐるぐるぐるぐるぐーるぐる。それが一番いやんなる。
  


Posted by Sunshine at 15:41Comments(0)

2014年11月25日

裸眼の視力ですか

裸眼で視力いくつ?ブログネタ:裸眼で視力いくつ? 参加中



裸眼の力をナメるなよッ!(CV:檜山修之)



ということで(どういうことで?)nu skin 如新

今日もブログネタを書いていきますよ!



裸眼の視力ですか…

私は、左が0.3で右が0.8。

さらにアビリティ・乱視を修得しております。



ナメるなよ、なんて言いましたがnu skin 如新

私の裸眼の力は、

暗黒武道会で戸愚呂・弟に吸収される、観客席の低級妖怪並です。



そんな私でも、20歳くらいまでは両目とも1.0ありました。

しかし、東京で生活を始めてから激減してしまったのです。



もっともらしい理由を考えると、

都会の生活でストレスが溜まり康泰導遊

知らず知らずのうちに、目にも負担をかけていたのだろうということになるのですが、

実際は、学生時代の視力検査をいい加減にやっていたのが原因かもしれません。



私が通っていた学校の視力検査は、

黒板に、あの「C」が並んだ検査表をマグネットで貼付けて行なっていました。

机を教室の脇によせて直線のスペースを作り、

検査を行う生徒がその正面に立ちます。



それ以外の生徒は両脇に固まって待つのですが、

出席番号順に検査を行っていくため、

どんなクラス分けになったとしても、

苗字が「き」で始まる私の番までは、時間ができます。

すると、どうなるか。



検査表の配置を、暗記してしまうのです。



そしていざ自分の番になって検査を行うとき、

見えない文字でも配置を覚えてしまっているため、

答えることができてしまうのです。



できてしまうのです。

なんて言いましたが、それでは検査になりません。

全くの無意味です。

正直に分からないと言えばいいのですが、

当時から私はひねくれた性格をしていたものですから、

分かっているものを分からないとは康泰導遊、絶対に言いたくありませんでした。



完全にムダな心意気です。



いや、わざと暗記してるんじゃないんですよ。

他の生徒の検査を見ていると、勝手に覚えちゃうんです。

脳をフル活用していた学生時代。

私はもともと暗記科目が得意だったのもあり、

その力は時と場所を選ばず発動してしまうのです。



そんなことがあり、

私の視力は毎年決まってA判定(数値に直すと1.0)でしたが、

そのウラで、本当の視力は落ちていき、

大人になって検査したら本当の数値が出た、

というのが真相かもしれません。



現在は裸眼とメガネ、半々くらいの割合で生活しています。

もう少し視力が落ちたら、魔眼を開眼させようかなぁと思うんですけど…

ちょっとコワイんですよね。



…え?

ああ、すみません。



レーシックのことです。  


Posted by Sunshine at 18:13Comments(0)

2014年11月14日

夜空の星を眺めて

夜空の星「すばる(昴)」の英語名は、ギリシャ神話に出てくるプレーアデスと呼ぶ
7人の姉妹たちにちなんで、”プレアデス(Pleiades)”と呼ばれる。
この「すばる」、通常は肉眼では六つ程度の星が見える。

この星のことを日本では「すばる」以外に背幕製作
「はごいたぼし(羽子板星)」「むつらぼし(六連星)」「いっしょうぼし(一升星)」
「むらがりぼし(群星)」などと呼んだりする。
この時期、寒空を見上げ一群になったこの星を見ると、いよいよ冬の到来という気持ちになる。
清少納言の『枕草子』(第236段)に、
「星はすばる。ひこぼし、ゆふづつ。よばひ星、すこしをかし。
尾だになからましかば、まいて。」
という「くだり」がある。
意味は、星はすばる。ひこぼし。宵の明星。流れ星も少し趣がある。
尾を引かなければもっとよいのだが。というもの。

夜空の星を眺めて、数個が、一つにまとまっているところが魅力的なのか、
この星座の名前を冠したグループや会社がある旅遊保險
一つは、フランスの出版社「プレイヤード」。これは、7人の詩人たちが始めたもの。
一つは、日本の自動車会社「スバル自動車」は、幾つかの会社が合同して設立されたもの。
「すばる」という音は、「統(すべ)る(=統率する)」というところから来ているという。
「スバル」は、会社の固い結束を表現しているとも言われる。

今、日本の政界が風雲急を告げ、衆議院の解散風が吹いている。

野党にとっては、思いがけない逆転のチャンスとも言える。
現在、野党と呼ばれる政党は、6、7存在する如新集團
この野党が結束し「統(すべ)る」状態になり、結束していけば逆転ということも可能。
ところが、この野党の政党には、過去、様々なしがらみがある。
これらの政党間の「しがらみ」が「尾を引いて」
どうも、統(す)べる状態にはなれそうにない。

まさに清少納言が語った王賜豪
「尾だになからましかば(尾を引かなければよいのだが、、)」というところだろうか?
  


Posted by Sunshine at 16:41Comments(0)

2014年11月05日

名前はキクちゃん

トラジを飼いはじめた頃、

となりも、拾ってきた子猫を飼いはじめた。

名前はキクちゃん、男の子康泰導遊

キクちゃんは、ほとんど白色だけど、頭の一部だけ黒い。

般若の眼みたいで、本当に可愛くて、となりの奥さんが羨ましい。

ただ尻尾が無い。それも可愛い。

「田舎で拾って来た猫やから尻尾がないなん」

「エエ、田舎の猫は尻尾がないの?ホンマに!」

「そうやで康泰導遊。」

だまされたフリをした。

お互い自分の猫が一番可愛いと思っているけど、

相手の猫の方が可愛いと褒めあう。

「トラさんはシャープで男前やし、どっか外国のいい猫の血が入ってるで」

「入っているとしたら、イリオモテヤマネコやわ、野蛮やし。」


キクちゃんは、未だトイレがちゃんと出来ない康泰導遊

布を見たら、その上でところ構わず放尿する。

それが、最大の悩み。

「もうイヤになってくるわ、このアホ猫、捨ててやる!」

拾いに行こうと期待していたのに…。

私は、見た!!

奥さんが、可愛い王賜豪醫生、黒い皮の蝶ネクタイの首輪をしたキクちゃんを抱いているのを。

私のトラは未だ、のみとり首輪をしたままなのに…。写真はトラジ。  


Posted by Sunshine at 12:49Comments(0)

2014年10月30日

生まれつきの性格

わたしのブログ。

自分が書きたいことを自分目線で書いている。

ほんの少し、ほんのたま~に、おもしろい時もあるようだが、
「あら、わたしもそう」という共感は康泰導遊、なかなか感じていただけないようだ。

わたしが、ちょっと変人であること、サービス精神がないこと、自分に正直すぎること、
考えに偏りがあること、目線に優しさ、温かさがないこと、周りを気にしないこと、
脇の甘さ、・・・
そういったことを自覚している。
ひと言でいえば、「ユニーク」。

生まれつきの性格、性質と、育った環境、努力放棄、開き直りのせいだろう。
さらに表現方法が、誇張したり、卑下したり、上げたり、下げたり、アップダウンの幅が大きいため、
ウソ臭さ、胡散臭さや、演出っぽさがハナにつくだろう。

自分も含めて、斬ってしまうので、
時には、世の中の大半のひとをも斬ってしまいかねないし、
逆に、ほとんどのひとを、称賛しているかも知れない王賜豪

自分がそうだからといって、他のひともそうだ、とは限らない。


さらに、いちばんの問題は、自分目線の設定が、「どーだかねー目線」だということ。
自分の理想ばかりが高くて、実体が追いついていない。
その追いついていない自分を嘆く。
世の中の多くの人、現象は、ひょっとして、わたしの描く理想に追いついていないのかも知れない。
頑張っているひとや、報われないひとを、自分ともども、否定してしまっているのかも知れない。
お茶らけで、いっしょに笑い飛ばしているかも知れない。

読む人は、「また、出来もしないことを理想に掲げては、嘆いている」と思うかも知れない。
スローさん、あなたは、衣食住足りて、心身ともに不自由なく、恵まれているじゃない、と。

それを取るに足らぬことで、文字数ばかりを増やし、読むにはヒマつぶしになるけれど、
賛同するには、あほらしすぎて、年のわりに未熟過ぎて王賜豪、やってられん、と。

とまあ、そういうかんじかなあ・・・と自己分析しております。


もともとブログは、自分のために、自分との対話のためにやっているので、
他のブロガ―さんと比べること自体が、わたしの目的とは外れている。

自分本位に、なんでも吐き出せばいいものでもない、とも思っている。
でも、、胸のつかえが取れて、すごくスッキリするのも事実。
この、詰まっているものが取れて、また流れ出す爽快感は、他のものには、なかなか代えがたい。


原点に帰って、ブログを書ける楽しみを味わい、
読んでくださる方がおられることに対して、謙虚にならないといけない。

欲を張ると、「感謝」のこころが薄れる康泰領隊
上を見ず、下を見ず、横も見ず、ナナメも見ず・・・ああ、どこを見ればいいの?

とにもかくにも、
自分を見失わず、迷子にならないよう、楽しいブログ・タイムを過ごしたい。  


Posted by Sunshine at 15:54Comments(0)

2014年10月13日

その日

一年に一度だけお邪魔する、とある割烹のお店。
大手老舗料亭で修業を積まれた、板前さんが、腕を振るってくれる。

いつも和服に真っ白い割烹着を着て、笑顔で給仕してくれる美人の奥さん。
(ご夫婦ともに40代?)
彼女は、近年、妹さんを癌で亡くしたnuskin 如新
それと同じ病を発症した奥さんだが、幸いなことに、病が深刻化することから逃れられたそうだ。

先日、行くと、いつも笑顔で出迎えてくれる奥さんの姿がなかった。
「家内は、新しく、自分の店を開きました」
と、柔和な顔で説明される、割烹のご主人。

我々の訪れる割烹は、オーナーである板さんご夫婦のご自宅から結構遠い場所にあるのだが、
ご自宅がある近場に、このたび、奥さん自身で、和食のお店を構えられたそうだ。

その日、奥さんは、我々が来るというので、ご自分のお店は、料理人に任せて、
わざわざ顔を見せに、夜9時頃、お店に出てこられたnuskin 如新

前から自分の店を持ちたかったと話す奥さんは、言葉を続けた。

「一度、落としかけた命、また拾ってきた命。
せっかく命拾いしたのだから、もらった命、大事にしたい、
自分の思いに正直に生きなれば、と思いました」

奥さんは、悔いのない道を選び、歩き始めた。

なるほど・・・

こじんまりした割烹で、腕のいい板さんと、それを支える、夫唱婦随の美しい構図。
そう受け取っていたが、時代は変わったんだなあ・・・と思った。
そして、奥さんの代わりに下ごしらえや、給仕をしていくれるのは、
板前さんの格好をした、20才の女性王賜豪醫生

若い女性なら、和服を着ると、またひと際美しさが増すことだろう。
が、コストが合わないとすると、それなりの若さを強調した格好で、お客さんを惹きつけるというのも、手だと思った。
しかし、実際は、すっきりまとめた髪を、ずべて、すっぽり板前さん用の白い帽子におさめ、
白い板前さんの仕事着に身を包んで、てきぱきと仕事をこなす、板前見習いの女性だった。

和風の京美人風の顔立ちなのに、板さんの格好が、アンバランスなような、
男性主導型の形にはめ込まれていない女性の姿を現しているような、
心の中で、がんばって!!と、拍手を送りたいような気になった。

ただし、奥さん、ちょこちょこ顔を出さないと、あの、若い女性とご主人の、
今後の進展が気になると言えば気になる。
奥さんのお店にも、料理人の男性を雇っているらしいので、
これは、よほどうまく仲良くしないと、いつなんどき、バランスが崩れて、ややこしいことになりかねないとも限らない。
これは、外野である、無責任な人間からの、まったくの老婆心であるが。


夫婦で・・・
自分の道を選ぶと、二本線になるんだなあと、感慨深かった。
仲が良いのと、自分の道を選ぶのとは、違うのだ。

これは、親子でも言えている。
家業を継ぐか、継がないか。
などなど・・・。

自分ならどうするかなあ・・・と考えた。
わたしは、あの割烹の奥さんのように和食の腕はないので、
店を持つとすると、職人を雇い、完全にオーナー、経営者という立場でしか、店を切り盛りできない。
自分として出来るのは、給料計算や、店の掃除、給仕サービス係だけだろう。
顔だけ出して、経済面だけを握り、あとの一切を雇った従業員にしてもらう、ということもあるだろう。
どっちにしても、今のわたしには同珍王賜豪、そんな気力も体力も、野心もない。

拾った命があるとすると・・・
余生を自分の好きなように、後悔しないように過ごしたい。
さてさて・・・自分ならどうするだろう・・・。

ひょっとすると、今とまったく変わらないかも知れない。
不用品を処理して、断捨離後の、すっきりした気持ちで、身も心も、こざっぱり過ごしたいかも。
これも、今の思いと同じではないか。
(亭主も、こざっぱり捨てたいかも知れないが、まだ役に立っていただくことが、たくさんあるので、
がんばってもらおう)

ということは、すでに、わたしは余生が始まっているのかも知れない。  


Posted by Sunshine at 19:04Comments(0)

2013年07月27日

美人でスタイルがいいと

社交ダンスをしている人は、年齢不詳だ。
おおまかにしか、わからない。

自分と同じぐらいかな~。
10歳ぐらい上かな~。
うんとうんとうんと上かな~康泰領隊

確かな識別方法は、あまりない。

靴を脱いでいる女性の足元を見れば、絶対的な年齢は推測できる。
見事な外反母趾だったりする。

美人でスタイルがいいと、少々年をとっていても、わからない。
顔の皮膚、肌つやも、年齢推測には、欠かせない、
一番はじめに目に飛び込んでくるチェック項目だ。
だが、首は、どうしようもない康泰領隊

しかし、わたしの母なんぞは、首がじつにキレイ。
わたしより、ずっとキレくて若々しい。
シワもなく、ぴーんと艶やかに張っている。
なので、首で年齢を推定しようにも、例外はある。

顔とカラダは、かなり大きな要素だと思う。
身体能力もさることながら、見た目が、効く。

背筋がぴしっとしていて、お腹まわりがスッキリ。
動作が、キビキビ、あるいは、優雅新加坡旅行
年齢がいっていても、お色気というものが漂う。
しかも、男性女性、両方。

じーさん、ばーさん、と、侮ってはいけない。

前に、とてもステキな男性をお見かけした。
年の頃なら、75歳ぐらい??
知的で、やや枯れていて、ダンディ。
わたしは、最近は、食べ物の好みもそうであるが、
あまり、ぎんぎん、ぎらぎら、べとべとは、受け付けなくなった。
冷ソーメン的に、さらっと、上質、上品が、好き。


とか言いつつ、明日は、家族が寄り集まって、我が家で焼肉パーティ。
べとべと、ぎんぎん、大汗をかきそうだがcellmax 團購

我々は、実家がらみの夏の納涼・恒例焼肉パーティには参加しないが、
自分たちで別に、自宅で焼肉をすることになった。
焼肉に参加する若い彼らは、
なんと、前もって、ホットプレートを用意して持ってきてくれた。
ただし、箱に入った器具のみ。
あとは、お願いしますね、という流れ。

わたしは、肉をはじめとする材料、その他、一切がっさい担当。
まあ、親というものは、そういう役が回ってくるものだ。  


Posted by Sunshine at 11:32康泰領隊